レクチャーコンサート報告
東京大学駒場キャンパス和館で2015年6月7日(日)、沖縄県立芸術大学(以下沖芸大)の学生有志「蔵の会」による、琉球芸能のレクチャーコンサート「琉球芸能」(以下レクコン) <*註>が開かれた。当楽団Estudiantina Komaba(エストゥディアンティーナ駒場、以下EK)は制作に協力した。和室の部屋を貸し切って襖を開け放ち、広さ64畳の会場に訪れた72名の来場者が琉球芸能を堪能した。以下、沖縄の琉球芸能とベネズエラ音楽という、縁遠く感じる二者の繋がりと、レクコンの報告を簡単に記す。
蔵の会とEK
蔵の会との交流が始まったきっかけは、2014年9月25日から30日にかけてEKが敢行した5泊6日の沖縄ツアーだ。ツアー中、当楽団の主宰教員・石橋純が沖芸大に招聘されてラテンアメリカ音楽の集中講義を行った。学生7名が石橋純に随行して、授業に参加し、演奏を披露した。
授業初日、ぎこちなく自己紹介を交わした沖芸大生と当楽団員は、最終日に空港へ車で送ってもらう時には再会を固く約束するほど親密になっていた。(本HP「2014年沖縄ツアー」参照。)
沖芸大生の何人かは、沖芸大の集中講義の最終コマに行ったレクコンに加え、南城市市民ホールでのEKコンサート(内容は芸大レクコンと同一)にも足を運んでくれた。伝統の型の遵守、文化への敬意、熱帯の空気感など、共鳴するものがあるのかもしれない。「課外授業」と称して県庁前のサルサクラブで踊り明かした夜も、琉球芸能の実演を交えて明け方まで語り明かした夜もあった。浦島太郎が竜宮城で過ごした時間さながらの、夢のような日々だった。
「東大で琉球芸能のコンサートを」という構想はこれらの交流の最中に生まれた。沖縄側と東京側双方の尽力もあり、約9ヶ月を経て今回のレクコンの実現に至ったのである。
レクコン報告
当日は、日差しだけは真夏のような初夏の日だった。会場の和室には縁側から涼しい風が吹き、冷房はなくとも過ごしやすかった。静けさに、三線や胡弓、太鼓が心地よく響き、男女の歌声が胸に染み入るように感じた。
司会の石川真紀さん(音楽学専攻、学部4年)が曲を紹介し、楽器説明や衣装の紹介も交え、明るく進行した。最後列から見ても、衣装は美しかった。黒い衣に金色の帯が映え、頭には黄色い冠をかぶった琉球朝廷の官僚の衣装。作業のため右袖はシンプルに、左袖と下半身は紅型で華やかに仕立てた、舞手の女性の衣装。整った姿勢や立ち居振る舞いも、印象的に映った。休憩を挟み、赤や青の着物に衣装が替わると、音楽も陽気さを増していくようであった。
アンコールには、ブラジル音楽の名曲『トラべシア』(ミルトン・ナシメント作曲)を、蔵の会とEKで合奏した。曲名は「道のり」「軌跡」を意味する。かしぶち哲郎の歌詞では、南米に憧れてはるばるブラジルを訪れた旅人がモチーフに描かれる。さらに八重山民謡の第一人者・大工哲弘のカバーでは、楽園を求めて世界に散らばり、地球の裏側たる南米のブラジルにまで到達した沖縄移民の軌跡を歌っている、と解釈できる。今回の演奏では、そうした沖縄移民の軌跡に敬意を込め、蔵の会とEKの出会いにも思いを馳せた。沖縄の三線とベネズエラのバンドーラ・セントラルが共演し、蔵の会からは又吉恭平さん(音楽学専修、大学院2年)と山田和孝さん(琉球古典音楽専修、大学院2年)が、EKからは石橋純がボーカルを務めた。
客層は幅広かった。老若男女、沖芸大の先生や学生も、ベネズエラ大使館の人々も、ひたすら駆け回りたい年頃の子ども達もいた。山田さんがお客様全員に起立とカチャーシーという踊りを促すと、コンサートは大団円を迎えた。カーテンを右に左に開けるような手の動きに、足踏み。観客総立ちなので、出演者のお手本はもはや見えない。山田さんが人混みをすり抜け、最後列まで踊りながらやってきたことに、演者としての心意気を感じ、心を打たれた。
駒場に運ばれた南の風は、私たちの心を爽やかに吹き抜けていった。昨夏の出会いから、今回のコンサートの実現に至ったことが、嬉しく、また感慨深い。
沖芸大のみなさま、すべての関係者の方々に、心より御礼を申し上げます。
*註…本公演は東京大学 教養学部 教養学科 地域文化研究分科 ラテンアメリカコースの主催により行われた。当公演を含む沖縄県立芸術大学学生有志による2015年6月琉球古典芸能演奏ツアーは沖縄県立芸術大学 平成27年度 教育研究支援資金の助成を得、同大付属研究所の久万田晋教授の随行により行われた。当公演の他に、第四回 法林寺 琉球芸能の会「お寺で愉しむ琉球芸能」(6月6日、於東京都あきる野市法林寺)、レクチャーコンサート「沖縄のうた…命薬(ぬちぐすい)としての音楽」(6月8日、於静岡文化芸術大学)が、同助成金によって実現した。
《文責 S.E》
Fiesta報告
「Guayana es!」「イーヤーサーサー!」「Guayana es!」「ハイヤ!」
スペイン語とウチナーグチとで掛け合いながら、ベネズエラのカーニバル音楽カリプソを歌い踊って宴は幕を閉じた。
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沖縄の方々との出会いは一年前の夏だった。演奏旅行で沖縄を訪れ、そこで出会った沖縄芸大の学生と連日のように飲み明かし、最後の夜にはオリオンビールと三線で素晴らしい歓待を受けたのだった。沖縄で過ごしたたった数日のときは、まるで数年だったかのように思えた。音楽と宴を通した交流は、私たちに感動と少しの寂しさを残した。
沖縄での別れの時に交わしたなにげない会話がきっかけとなり、「沖縄県立芸術大学 学生有志公演 レクチャーコンサート 琉球芸能」は実現した。レクチャーコンサートでの私たちの仕事は、沖縄からはるばるいらした方々の素晴らしい演奏を、微力ながら裏方で支えることだった。最後のお客様を送りだしたとき、あのときの恩返しができただろうかと少し胸をなでおろした。
しかしこれで終わりではない。Fiestaの恩はFiestaで返さなければ(!)ならないからである。(Fiesta…私たちが呼ぶところの音楽のある宴のこと)
私たちはこの日のために計画を練っていた。こだわりぬかれた空間と美味しいお料理を提供してくださる場所を探しだし(しかも演奏OK)、南米流の本格焼肉を味わっていただくべく準備を重ねた。
いよいよFiestaの本番。レクチャーコンサートを終え、沖縄の方々、EKの面々が少しずつ会場に集まってきていた。「練習」という名の小規模な乾杯を行いつつ互いを労い、お酒と少しの料理を味わう。
いくつかのテーブルに分かれて歓談している中、ふいに音楽が始まった。ベネズエラの国民音楽ホローポの一つ「キルパ」。南米のハープ「アルパ」が荒々しく、しかし美しい伴奏でリードする曲だ。
私たちの宴は少し変わっている。美味しいお酒とお料理――それだけでは足りない。南米流の宴と音楽と踊りは不可分だ。コンサートとも宴会芸とも違う、そんな少し不思議な音楽の形に惚れ込み、今日までこの文化を実践してきた。
1つの曲が終われば「次はあの曲やるか!」とお酒を置いて楽器を手に取る。ほろ酔い気分で、舞台上と違って緊張することもなく気持ちよく、歌い演奏する。周りはときにそれを囃し立て、ときに静かにそれに耳を傾ける。
しばらくすると炭で焼いた南米流焼肉が運ばれてきた。手作りのguasacaca(ソース)をたっぷりつけてほおばる。ビールとの相性は抜群だ。
ベネズエラ音楽が何曲か演奏されたところで、沖縄側の女性二人が三線とギターを持った。EK側から歓声が沸き起こる。お二人は「いーどぅし」というユニットで沖縄県那覇市を中心に活動されているそうだ。ライブさながらのトークを交えながら、「涙そうそう」や「島人ぬ宝」などを情感たっぷりに演奏してくださった。
音楽は途切れることなく続き、宴もたけなわといった頃、三線のイントロが始まった。
「オジー自慢のオリオンビール」。
皆、片手にグラスを持ちそのときに備える…
「~~~で」「あっりかんぱ~い!」
「~~~で」「あっりかんぱ~い!」
やがて乾杯のときが訪れ、何度も何度も杯を交わした。
なんと私たちはそのときまで本番の乾杯をしていなかった。これが今日初めて全員で行う「本番」となった。
楽しい宴もあっという間に終わりがやってきてしまった。締めのカーニバル音楽、Guayana esのイントロを奏でる。皆、打ち合わせもしていないのに、スペイン語の歌詞の合間合間に「イーヤーサーサー!」「スイ!スイ!」とぴったり沖縄の掛け声をはめながら歌い、踊る。どんどんヒートアップしていく曲に合わせて疲弊していく伴奏の右手を気にしながらも、私は踊り狂う皆を見てなんとも言えない幸福感に包まれていた。
再会を果たした人とも、その日初めて会った人とも、ずっと昔からの友人であったかのように別れを惜しんだ。
夢のような一日だった。例えでも誇張でもなく、私はきっと一生、この素晴らしい体験を忘れることはないだろう。
《文責 M.T》