レクチャーコンサート報告
2015年7月4日土曜日、長野県立諏訪清陵高等学校の文化祭・第65回清陵祭の文化講演会講師として、当楽団主宰教員の石橋純が招かれました。「ラテンアメリカの文化と音楽」と題した講演には、同校卒業生である林蛍都をはじめEKメンバー7人が同行し演奏を披露しました。文化祭の開幕イベントとして午前9時30分から1時間40分にわたり催された講演は、石橋による講義、EKによる演奏、「大学生と語ろう」と称したトークコーナーという3つの部分から構成されていました。同校の全校生徒男女約700名、付属中学の生徒約30名、教員・保護者のほか近隣住民の方々十数名にもご来場いただきました。
石橋による講義では、ベネズエラの政治・経済・文化の概説、聴衆参加で行われたベネズエラの国民音楽「ホローポ」のリズム体験に加えて、ラテンアメリカ音楽に特徴的なフリギア旋法とアンダルシア終止のデモなども提供されました。
私たちの見せ場である演奏は、こうした講義の流れに即して展開されます。日本で最も有名なベネズエラ音楽「コーヒールンバ」(Moliendo café)、ホローポから「旅路の土をまとって」(Traigo polvo del camino)「キルパ」(Quirpa)、ベネズエラ・ワルツの「アンデスの三日月」(Media luna andina)、ベネズエラ流ボサノバの「突然に」(De repente)、16世紀スペイン音楽の面影を残す「牛を見張れ~ポロ」(Guárdame las vacas ~ Polo)、カーニバル音楽の「グアヤナ・エス」(Guayana es)、ベネズエラ中西部ララ州のホローポである「アマリア・ロサ」(Amalia Rosa)の8曲をお聞かせしました。
オープニング曲「コーヒールンバ」の歌手である私は舞台から客席を見渡しましたが、生徒の表情からそのテンションまでは読み取れませんでした。なので「来たぜ諏訪清陵!」といったプロ気取りのあいさつは呑み込みましたが、判断ミスでした。まだ一曲目だというのに手拍子が沸き起こったのです!初めから温まりきった会場に興奮しました。
次に私が歌ったのは「突然に」でしたが、しっとりした曲への高校生の反応はやや薄く、曲はそのまま間奏へ。ところが、私がタンバリンを叩き始めると、そのリズムに合わせた手拍子が聞こえてくるではありませんか!今までこの曲はおとなしく聞き入る音楽だと思っていましたが、ベネズエラ音楽である以上、リズムに乗って体を動かして聞くものだったことに気づかされました。
センスのいい高校生たちは、「グアヤナ・エス」では見よう見まねでコーラスやパーカッションに参加してくれ、急きょアンコールとして演奏した「アマリア・ロサ」でも私たちが要求するより先に「ホローポ」の手拍子を送ってくれました。あっという間にベネズエラのリズムを体得してくれたようでした。
「母校訪問」というイベントにあわせた特別企画として、EKメンバーによる高校・大学生活の話と質疑応答というトークコーナーが設けられました。出身地も母校の形態も様々なメンバーからは多様な話が引き出され、私たち自身が自分の経歴を振り返るよいきっかけにもなりました。最も多くの質問を集めたのは卒業生である林でした。私は、文化祭前の独特の高揚感の中、男女ともにクラスTシャツに上履きといういでたちで、暗くなるまで熱をあげて準備にいそしむ諏訪清陵生の姿が自分の高校時代に重なり、あのころに戻りたくなった、と率直に述べ、彼らの興味を引くことには成功しました。しかし、話慣れていないせいで、彼らに強いメッセージを発信することはできませんでした。次の機会では最後まで語りきりたいです。
今回のツアーで、私は東大で見つけられなかったものを取り戻すことができました。それは文化祭という一瞬に全力を捧げたり、未知の面白そうなものに体当たりしたりするエネルギーです。大学生という身分で大好きだった高校の文化祭に参加する機会を得られたことを私は幸せに思います。
石城正志校長先生、招聘窓口を務めてくださった武居美博先生、清陵祭実行委員の山口真美さんをはじめとする諏訪清陵高校のみなさまに心より御礼申し上げます。
また、林さんは、私がEKに加わる前から母校訪問を企画提案し、ソロでの歌唱と伴奏に加えて当日までのプロデュースと当日の司会進行まで務めてくださいました。これは簡単な仕事ではなかったと思います。林さんの熱意があったからこそ、第65回清陵祭文化講演会は大盛況のうちに幕を閉じることができました。おかげさまで私にとって初めてのツアーは大変楽しく貴重な経験になりました。ありがとうございました。
<<文責K.M.>>
観光報告
諏訪への演奏ツアーは私にとって初めてのツアーでした。大勢の高校生を前にした舞台では緊張しっぱなしでしたが、基本的には最初から最後まではしゃいでいたことが思い出されます。とは言っても大方しょうもないことを口から吐き出し続けていただけとしかいいようがありません。その極みはツアー二日目(2015年7月4日)の午後でした。我々は日の明るいうちに顔を赤らめ、夕方になった頃には「パッパラパア」で愉快な仲間たちと化していました。
午前中の本番を終えた我々は、本場信州そばを楽しんだ後、諏訪の(我々の)観光の目玉、諏訪五蔵巡りなる魅惑の旅に出ました。諏訪市街の中心部、甲州街道を歩いてびっくり、酒蔵、酒蔵また酒蔵。ごくごく狭い地域に酒蔵が五つも密集しているのです。もちろん未成年は飲みませんが、EKイベントの定番となりつつある酒蔵訪問です。一同、期待に胸を膨らませ、一つ目の蔵ののれんをくぐりました。最初は確か本金酒造だったような気がします。古くて実直さが感じられるこぢんまりとした蔵です。試飲をお願いすると大した説明はなされぬままに、数種類を試すことになりました。一同に笑顔がこぼれます。こうして幕が開けました。最初はまだよかったのです。二つ目の蔵以降は試飲態勢万全でEKを迎え撃ちます。扉を開けると杯が配られ、やれ夏の酒だの、純米吟醸だの、蔵の方が自慢の酒を出してくださりました。酒に向き合う真剣な場!舌に神経を集中させ、味わう日本酒。「嗚呼、米だ。」石橋さんの声が響きます。「マスカットのような青さ」と筆者。引く後輩たち。まだ鍛錬が足りていないようです。三つ目にもなると朝の一仕事を終えた我々は心地よく酔い始めていました。なんと素晴らしい酒蔵巡りなのでしょう。酒蔵から酒蔵まで数分で行けてしまうので、休む暇もありません。座る暇もありません、というか椅子がありません。つまみもありません。水とお酒です。ちなみに諏訪は霧ヶ峰山麓に位置し、その湧水がこちらの酒のもとになっています。ミネラル少なくさらっとした絹のような水。そこから生まれる酒は一様に甘くさらりとしたものとなるようです。
さて、ゆっくりとですが数時間かけて酒に向き合い続けた我々は最後の蔵となった「真澄」の立派な建物から出たときには、ふわふわと曇り空を漂っているような、そんな気分でした。我々は歩いてきた街道を戻り、この五蔵巡りで見つけたお気に入りの酒を購入しました。このツアーで何度この街道を往復したでしょう。本番前日、当日と三度は往復したように思われます。でも飽きはしませんでした。古い商店が軒を連ね、凝った意匠の建物が我々を楽しませます。縦横無尽に走る川の流れは美しく、細い路地では猫が伸びをしています。その横を駆け抜ける放課後の少年たち。それを眺めるように買い物帰りのおばさんが立ち話。これといってどこを見るとかではなく、ただぶらっとしていたいそういう町でした。
街道を引き返すと、どこからか温泉の香りが漂います。諏訪は温泉どころとしても有名なのです。酔い覚ましに二十分ほど心地よい初夏の風を切って湖畔まで歩くと、堂々とした洋館が姿を現します。片倉館と言って明治期に地元の富豪が建てた豪勢な温泉施設です。なんといっても圧巻なのは千人風呂です。ローマの浴場にいるような巨大な風呂でした。文化祭のオープニングに大勢の高校生の前で歌った今日の朝をじんわりと思い出していました。歌い手になるというのは不思議な経験です。今回もなれたかはわかりません。語りきれない、気持ちが歌に乗って伝わらない、そういう日もあります。どうもうまくどこかが合わないのです。演奏者との息かもしれませんし、情動を発散させるスイッチが入らなかったのかもしれません。ただ流されるように歌うだけ、そういう気分です。しかし、たまにその逆も起こります。どんどんと湧き上がる情動が身体から身体へと伝播し、私から演奏者へ、そして観客へと伝わる感覚がそこにはあります。細部に気を取られるのではなく、魂が宿ると言ったらよいのでしょうか。まだまだ勉強しなければいけないことはたくさんあるし、新たな可能性に自分を開いていたいとは思います。しかし、いつまでもこういう歌う感覚の鮮やかさを大切にしていたいとは思うのです。のぼせてきた私は風呂を上がり、湖畔を少し歩きました。
その夜、我々は湖畔のレストランで、食べたこともないような不思議な薬膳鍋に舌鼓を打ちました。信州の南部は薬草の里としても知られています。うまいうまいと普段は行かないおしゃれレストランで感動する一同は「このじるうまい」「じるの中のじる」「ジルベルト・ジルやでこれは」などとしょうもないことをぶつぶつ言っていました。(じるとは世に言うスープのこと)信州豚に、地元野菜、リゾットと大満足でした。店を出ると、あたりは真っ暗で湖の向こうに対岸の明かりが煌めいていました。宿までふらりと歩く道、風が生温かったことが思い出されます。また新しい季節が来るのだな、そういう気がしました。私はこの夏留学に行くことになっていて、楽団からは離れることになります。今年(2015年)に入ってから何度もこの楽団で心が動く体験をしました。最高新記録を毎回更新するようなそういう日々でした。諏訪での日々もそのうちの一つとして心の中で煌めき続けています。
<<文責K.T.>>