2014年9月25日から30日にかけてEKは5泊6日の沖縄ツアー敢行した。ツアー中、当楽団の主宰教員・石橋純が沖縄県立芸術大に招聘されてラテンアメリカ音楽の集中講義を行った。学生7名が石橋純に随行して、授業に参加し、演奏を披露した。

(1)ラジオ出演レポート

 9/26、沖縄ツアー二日目の午前に黒本・圓・有賀の3名で、ラジオに生出演してきました。
タイフーンfmというコミュニティ放送局で15分ほど、トークと歌を交えてベネズエラ音楽や楽団活動について紹介しました。
 3人ともラジオ出演は初めてで、コンサート本番以上に緊張しておりました。冒頭の伝統曲「quirpa」演奏から、トークが始まりました。まず自己紹介を求められます。パーソナリティの諸見里杉子さんが慣れた様子で進行していきますが、我々は普段通り話せるはずもなく、黒本は「えー」といった間投詞を多用しながら話しておりました。バンドマスターの有賀は、バンドマスターらしく妙にスカした話し方で格好をつけておりました。
 「入団のきっかけ」「ベネズエラ音楽の特徴」といった質問は対策していたのですが、途中で予想していなかった質問が飛んできたときは放送事故寸前の沈黙が流れるなど、緊張感のある放送となりました。
 最後にバラード曲「Criollisima」で締めくくります。生放送でボーカルは緊張するかと思っていましたが、歌う内容が決まっているのでトークよりは緊張せず、「もうすぐ終わる」という安心感のもとでのびのびと歌うことができました。
 放送を終えた我々は達成感に満たされながら、首里城公園の鳥と戯れつつ余韻に浸っておりました。また、ラジオパーソナリティの諸見里杉子さんは翌日の沖縄芸大レクコンにお越しくださり、とても熱心に聴いてくださいました。

さて、この放送は下記URLのpodcastにて公開されています。興味のある方は是非お聴きになり、放送本番の緊張感を感じてみてください。
http://www.fmnaha.jp/podcasting/33/33_20140926160510_741.mp3
黒本

(2)芸大レクコン

 ツアー3日目、9/27(土)に沖縄県立芸術大学にてレクチャーコンサートを行いました。芸術大学は琉球王府のあった古都・首里の旧市街に立地しており、練習やコンサートで遅くまで残るたび、大学からライトアップされた首里城を見ることができました。このコンサートは石橋さんが集中講義として受け持った6時間講義の最後の1時間を使って行われ、石橋さんの解説を交えつつ7曲を演奏しました。事前の講義でラテンアメリカの音楽について学んでいた芸大受講生を含め、約20名に参加して頂きました。
 私は今回マラカスやコンガを演奏し、アンデスの三日月では歌を担当しました。芸大での開催ということで、音楽経験のある方が多い中で歌うのは特に緊張し、声が震えてしまったような気がしますが、精一杯歌詞を伝えるように歌えたと思います。コンサートを終えた後、参加者のお一人に「とてもかっこよかった」と声をかけて頂けたのがとても嬉しく、これからもベネズエラ音楽の楽しさ、かっこよさを伝えていきたいと強く思えた出来事でした。
K.H.

(3)海・温泉・酒造

 ツアー4日目、9/28(日)はオフ日ということで、全員でレジャーに出かけました。
 まず朝早くから起き出し、慶良間諸島沖でのシュノーケリングに向かいます。港から離れるほど純粋な青になっていく海をボートの上から眺め、到着後はヒレを装着し海に入ります。インストラクターさんによるナマコやフグを触らせてくれるサービスや、スリリングなバナナボートを楽しみ、美しい海を存分に堪能しました。
 シュノーケリングを終えた後にはレンタカーを借り出し、瀬長島の龍神の湯へ浸かりにいきます。露天風呂からエメラルドに光る海を眺めるという最高のロケーションでした。
 温泉で体を癒した後は、満を持して瑞泉酒造へと向かいます。第二次世界大戦時に全て焼失したものと思われた、瑞泉で使われていた酵母菌が冷凍保存されているのを、東京大学の坂口謹一郎教授が発見し、戦前の泡盛の味を再現できるようになったという経緯があり、瑞泉は東大と縁のある酒造所です。現在は、戦後再発見された酵母菌と、戦後新たにつくられた酵母菌の二種類で酒造りを行っているそうです。残念ながら見学当日は工場が稼働しておらず、生の行程を見ることはかないませんでしたが、泡盛の作り方・熟成のさせ方を学び、かつ実際にその味を試飲させてもらい、各々が好みの味の泡盛を手土産に帰ることとなりました。
K.H.

(4)南城市での一日

 ツアー五日目。前日は一日オフであったため終日観光をし、夜遅くまで沖縄を満喫した。深夜にゲーセンに出掛けた強者も何名かいた。そんな日の翌日であったが、メンバーは全員早起きをした。なぜか。南城市シュガーホールでのレクコン本番に備えて、ではない。ツアーの本当の目的とも噂されるアー写撮影のためである!
広報に使用する目的で、楽団のイメージを表す写真(アーティスト写真、通称アー写)が撮影されたことは過去にも数回あった。今回は沖縄という舞台を存分に活用すべく、ツアー中にアー写撮影をするぞ、ということが随分前から言い渡されていた。メンバーは「こんな奴おらんじゃろ」と言われるに違いない奇抜なファッション(通称「オランジャロ・ファッション」)を下北沢や国際通りや各々の自宅から探し、石橋純の審査を受けた。南城市の方には朝一番の送迎をお願いし、万全の体制で臨んだ撮影であった。
風光明媚で自然豊かな南城市は撮影地には困らなかった。数ある候補から厳選された撮影地は、あざまサンサンビーチとニライ橋カナイ橋である。ビーチに向かう送迎車の中で、「ビーチは構図が限られているから、撮影はすぐに終わりますよ」と運転手に話す石橋純の声を聞いた。楽器を長時間潮風にさらすのもよくない。「すぐに終わりますよ。」みんなその言葉を信じていた。
 慶良間諸島沖でたっぷりシュノーケリングをし、瀬長島の海でバシャバシャと遊んだのは、前日のことである。しかし沖縄の海は何度見ても美しかった。ビーチを見るとツアー中何度目かの歓声をあげてはしゃぎだした若者達を尻目に、文化人類学者兼カメラマン石橋純は、撮影場所の選定を始めた。おそらく世界観を醸造していたのだと思う。気が付いた時にはカメラマンは彼方に移動しており、撮影を始めるので速やかに移動せよという旨のメッセージが携帯に送られていた。
撮影は順調であった。唯一惜しいことといえば、雲が多いことだけだった。これまたじっくりと七人の立ち位置を決め、二台のカメラと独特のかけ声を駆使し、時々は波を待ちながら、何枚も何枚も写真を撮った。メンバーの表情筋に疲労感が現われ、これだけ撮ればよかろう、というところまで撮った後、ようやく楽器をしまうよう指示が出た。
 撮影を終えて安心した若者たちが波と戯れたり写真を撮ったりと遊んでいるうちに、昼が近づき、日が高くなった。簡単に言うと、晴れた。海は空を映す鏡であるのか、天気次第で驚くほど色が変わるのである。
 必然的に、撮影再開の指示が下された。もう一度、独特のかけ声を駆使し、波を待ち、メンバーの表情筋がガチガチになった頃、このような素晴らしい海との写真が撮れた。
 ニライ橋カナイ橋での撮影を急いで終え、おきなわワールドでの昼食を経て、送迎車はシュガーホールへ急いだ。なにしろ、撮影が押していたのだ。到着した頃には開場直前で、ぞろぞろと席に着くお客様の前でサウンドチェックをするという何とも気恥ずかしい経験をした。

 南城市レクコンは、本来予定されていなかったが、石橋純の人脈を駆使した交渉が行われ、南城市まちづくり課の中本課長の協力があり、市内のシュガーホールにおいて行われることとなった。
 曲目は、二日前に行われた沖縄芸大のレクコンとまったく同一である。芸大で感じた課題を各人意識して改善につとめ、本番には独特の緊張感があった。(緊張感は、アー写撮影が長引き、サウンドチェックが開場後までくいこんだことに起因するとも言えるが…)
 ツアーの定番レパートリーに、「Polo(邦題:牛を見張れ)」という曲がある。沖縄では特に印象に残る一曲となった。ラテンアメリカ、そしてベネズエラの人々は、相手が誰でも「アミーゴ(友)」として受け入れ、とても陽気な印象がある。しかし彼らは陽気なのではなく、陽気に振る舞っているのであり、心の中には本当は悲しみや苦しみが隠されている。実は似たことが沖縄にも言える。沖縄の人々は、陽気でおおらかでフレンドリーな印象がある。しかし、歴史に刻まれた戦争の跡は深く、忘れることのできない痛みがある。という石橋純のMCの後で演奏した「Polo」は、いつにも増して心にしみる美しい響きとなり、会場が共感で満ちているような気がした。

 南城市で演奏できたことや、南城市の方が暖かく迎えてくださったこと、会場の集会室がほぼ満席になったことや、子どもたちの姿がちらほら見られたことなど、すべてがありがたく、嬉しかった。とりわけ、沖縄芸大ですでに一度レクコンを聴いた学生の方何名かが、もう一度南城市まで聴きにきてくださったことには感激した。終了後は南城市のゆるキャラ「なんじぃ」グッズの贈呈もあり、暖かい気持ちで帰途についた。送迎の車に乗る直前、さとうきび畑を見てインスピレーションを得た石橋純が、もう一度アー写撮影を提案するとは、誰も思いもよらなかっただろう。
S.E.

(5)民謡スナック・民謡酒場

 25日夜。滞在初日。
 私たちは、この日に友小「どぅしぐわ」と呼ばれる民謡スナックを訪れた。私たちが入店した時間がはやく、まだそんなにお客もいなかった。泡盛のボトル、人数分のグラスが私たちのボックスシートに運ばれてきた。スナックのお姉さんが、座ってお酒をつくってくれた。私たちは沖縄を訪問して初めての泡盛であった。泡盛を楽しんでいると、徐々に地元のお客さんが来店されてきて、店員さんによる演奏と歌どちらも徐々に熱がこもったものとなった。わたしたちもサンバというカスタネットのような手でならす打楽器を貸していただき、サンバの初歩を教えてもらい、演奏に合わせてたたいてみるがこれが難しい。沖縄の方はみなさん上手にサンバを操るものの、私たちは滞在中にできるようになったのは、結局基本のパターンのみであった。店員さんの演奏にサンバをなんとか合わそうと努力しているうちに、終電の時間が近くなり、滞在初日から終電を逃す訳に行かないということで宿へと戻り、この日を終えた。
 28日夜。滞在4日目。
 この日は、沖縄芸大の久万田晋先生に教えていただいたお店、上原正吉の店「ナ~クニ~」へと向かった。国際通りには、居酒屋に舞台があり、民謡の生ライブをやるという店が数軒存在する。近年になってからこういった居酒屋が増えてきていると石橋純から聞いた。この上原正吉さんというかたは、沖縄では知らない人をさがすほうが難しいくらい有名な方で、実際に私たちもその素晴らしい演奏を聞くことができた。そのうちだんだんと泡盛も進んできて、お客さんも踊りだして店内の興奮の度合いもあがってきて、店内でお客さんが踊りだし、熱気が高まってきたところで、ステージにカーテンがかかり、公演が終わり、私たちも店を後にした。
 私たちは、地元客向けの「民謡スナック」と、観光客向けの「民謡酒場」に行った。どちらも民謡を聴けるという意味では同じではあるものの、前者のお店のほうが、個人としてはまだ脈打っている伝統を見れたし聞けたように思えた。後者はパッケージ化されたショーであり、そういった意味では産業に組み込まれたものだった。私たちの平素の活動から照らしてみたこき、私たちの宴席での演奏やその歌合戦などを思い起こされるものは、前者のお店の音楽の宴であった。私たちは残念ながら、「民謡スナック」の音楽の宴の真髄となる時間帯は経験することができなかったが、またいつになるかわからないが、沖縄を訪問した際には、再度どぅしぐわの最高潮のグルーヴをぜひ全身で感じてみたい。
A.F.

(6)芸大生との交流

 今回の5泊6日のツアーを語る上ではずせないのが、沖縄県立芸術大学(以下、芸大)の学生との交流だ。
 特にお世話になったのが、沖縄芸能専攻の多和田さん、音楽学院生の又吉さん、音楽学学部生の石川さん、伝統芸能実技院生の山田さんの4人の芸大生の方々だ。
芸大でのレクチャーコンサートは、石橋の2日間にまたがる集中講義のクライマックスとして行われた。1日目は、というと、アフロ・キューバン音楽を軸にしたラテンアメリカ音楽の特徴と史的展開というテーマで講義が行われ、多和田さん、石川さん、それから留学生のイムさんが参加した。最終講ではアフロ・キューバン音楽の代表格であるサルサのダンスを実際に踊る演習が行われた。講義自体は日暮れ前には終了したが、我々には秘めていた一つのプランがあった。それは、実際にサルサクラブに出向き本場の雰囲気の中サルサを踊ろう、というものだった。無論、講義を受講していた芸大生を引き連れてである。このプランを受講していた芸大生に伝えたところなんと快諾してくれたので、我々8人のEKメンバーと3人の芸大生は、そろそろ夜半に差し掛かるという頃に沖縄の中心街である県庁前のサルサクラブへと繰り出した。
サルサクラブにはここが日本とは思えない程本場の空気が漂っていた。日付が変わる前まではサルサが流れるショットバーといった趣きで、踊る客はさっぱり居なかったが、12時を迎えた瞬間にムードは一変し、音楽のボリュームがアップするとともに集まっていた客が一斉に踊りだした。我々もこれに負けじとダンスを始め、サルサのみならずドミニカのバチャータ、メレンゲ等、ラテンのリズムを楽しんだ。夜通し、とまではいかなかったが、東京は秋深まる9月の末、南国の沖縄で熱気の夜を過ごした。
 集中講義の2日目、芸大でのレクチャーコンサートの後は、石橋を集中講義に招聘してくださった小西潤子先生、レクチャーコンサートを主催してくださった久万田晋先生とご一緒させていただき、安里の居酒屋「ぱやお」で美味しい沖縄の料理と酒に酔いしれつつ宴会を楽しんだ。その後モノレールの終電も間近であった為まさに帰路に着こうとするところであったが、実はこの宴会の後に一杯飲みに行かないか、と多和田さん・又吉さんとコンタクトをとっており、終電間際での再会が実現した。怪しい雰囲気のミャンマー居酒屋に入り、ビールやラムを飲みながら音楽談義で盛り上がり、深夜まで語り合った。その後再会を誓って別れを告げ、宿へとタクシーで向かった。
 ツアー2回目のコンサートは、沖縄本島の南端に位置する南城市にある、シュガーホールという素晴らしい会場で行われた。我々は2回のコンサートで同じ内容を用意していたのだが、先の芸大でのコンサートを聴いてくれた多和田さん・又吉さん・石川さんはこちらの会場までも足を運んでくれた。石橋の集中講義を受けられなかったという山田さんもこの機会を逃すまいと来場してくれた。
コンサートは大成功に終わり、芸大周辺にある芸大生御用達の居酒屋「守礼」にて彼らと宴会を行った。山田さんとはこの日初めてお会いしたのだが、わずか数時間で信じられない程仲良くなった。店じまいになっても飲み足りない、話し足りなかった我々は更なるステージを求めて彷徨い、そして辿り着いた先の芸大キャンパス内で乾杯し、魂の交流を果たした。また、夜半過ぎの時分であったが、先日のミャンマー居酒屋で音楽談義に花を咲かせた又吉さんがここから参戦し、琉球伝統芸能の民謡を三線とともに披露してくれた。彼らとの話は尽きることを知らず、語らいは明け方まで続くこととなった。
 最終日、我々のスケジュールは昼過ぎの便で東京に帰るのみであった為、時間的余裕があった。そこで多和田さん・又吉さんが観光の案内を買って出てくれたので、琉球王朝の別荘であった識名園という庭園に案内してもらった。結局、彼らの厚意にどこまでも甘えてしまい、2人に空港まで車で送ってもらった。この旅で既に何度もお別れの挨拶を交わしていたので若干の気恥ずかしさもあったが、空港で再びお別れをした。
 ウチナーグチ(沖縄の言葉)には「いちゃればちょーでー」という言葉がある。「一度出逢ったら皆兄弟」という意味だ。まさにそれを体現してくれたかのように、芸大生の方々とは深く濃密な交流をすることができ、本当に忘れることのできない素晴らしい出会いとなった。これ以上ない程温かく我々を受け入れてくれた彼らに今一度、厚く御礼申し上げたい。
S.A.